「クレームが怖い」「いつか大きなトラブルが起きるんじゃないか」——TCとして患者さんと向き合うほど、その不安は大きくなるかもしれません。TC歴20年、3万人を超える患者さんと向き合ってきた私ですが、声を荒げられるような大きなクレームは一件もありません。特別な才能があるわけではないんです。私が大切にしているのは、たったひとつのルールだけです。
クレームはなぜ起きるのか——治療結果ではなく「置き去り感」が原因
クレームと聞くと、治療の結果に問題があったケースを思い浮かべる方が多いかもしれません。もちろんそういったケースもゼロではありませんが、私の経験では、クレームの多くは治療結果そのものが原因ではありません。
患者さんが怒りを感じるのは、「自分で決めた」という実感がないときです。流されるように治療が進んだ、よくわからないまま高額な治療を選ばされた気がする、聞いていない話が後から出てきた。こうした「置き去りにされた感覚」が、不満を生み、やがてクレームという形で表に出てきます。
つまり、クレームを防ぐために必要なのは、説明の精度を上げることだけではありません。患者さんが「自分の意思で選んだ」と心から思える場をつくること。それが、私が20年間かけて学んできたことです。
「提案であって、決定ではない」——セカンドコンサルの最初の一言
私がセカンドコンサルの冒頭で必ず伝える言葉があります。
「これからお話しするのは、あくまで先生からの提案です。安心してくださいね。最終的に治療を進めることを決定するのは○○さんご自身ですので、不安なことやわからないことがあれば、何でも聞かせてください。」
この一言を挟むだけで、患者さんの表情が変わるのがわかります。肩の力がすっと抜ける。「決めなきゃいけない」というプレッシャーから解放されて、はじめて話を聞く余裕が生まれるのです。
なぜこの一言がそれほど大きな違いを生むのか。それは、この言葉が患者さんを「主役」に戻すからです。私たちTCは、つい「正確に伝えること」に意識が向きがちです。治療の内容、使う素材、かかる期間と費用。間違いなく、漏れなく伝えなければと思う。でも、どれだけ正確に伝えても、患者さんが「自分ごと」として受け取っていなければ、それは一方的な情報伝達に過ぎません。
「提案であって決定ではない」と伝えることは、患者さんに決定権を返すということ。そして決定権を持った人は、自分で選んだ結果に対して、不満をぶつける先がなくなります。自分で納得して、自分で決めたのだから。
自分で納得して、自分で決めた人は、クレームにはならない。
「分離」が起きると、なぜクレームにつながるのか
ホスピタリティTC養成スクールで河合さんが繰り返し伝えている概念に、「分離」と「非分離」があります。
分離とは、相手と自分を切り離した状態のことです。私はプロ、あなたは患者。私が説明する、あなたは聞く。私が提案する、あなたは決める。そういう「向かい合い」の関係です。
この分離した関係のままコミュニケーションを取ろうとすると、どうしても一方通行になります。私が話す、あなたが受け取る。そこには「一緒に」という感覚がない。だから患者さんは置き去りにされた気持ちになり、不安が蓄積して、ある日クレームという形で噴き出すのです。
反対に、非分離の関係とは「一緒にいる」状態。私はあなたの味方です、一緒に考えましょう、という空気の中でコンサルが進む。患者さんは「自分のことを本気で考えてくれている人がいる」と感じる。この感覚があれば、たとえ治療の途中で想定外のことが起きても、「まず中村さんに相談しよう」となる。怒りではなく、相談が先に来るのです。
分離の関係
向かい合い
私が説明する、あなたが聞く。一方通行の情報伝達。患者さんは「置き去りにされた」と感じ、不安が蓄積する。
非分離の関係
一緒にいる
一緒に考え、一緒に歩む。患者さんは「この人に相談しよう」と思える。怒りではなく、相談が先に来る。
セカンドコンサルの冒頭で「提案であって決定ではない」と伝えるのは、まさにこの非分離の関係をつくるための第一歩です。患者さんを対象として扱うのではなく、一緒に歩く仲間として迎え入れる。そのスイッチを、最初の一言で入れるのです。
「3分に一度、ボールを渡す」——20年間守り続けているたったひとつのルール
クレームを未然に防ぐために、私がもうひとつ——というよりも、これこそが私の核になっている習慣があります。
「3分に一度、相手を思いやってボールを渡す」。
これは、TC1年目のころに師匠から教わったことです。その先生の言葉が、20年間ずっと私の行動の軸になっています。
患者さんにとって、歯科医院は基本的に不安な場所です。痛い、怖い、何をされるかわからない。チェアに座った時点で、多くの方は緊張しています。脳科学の観点から言えば、「不快のスイッチ」が入っている状態です。人は不快の状態にあるとき、どれだけ正確な説明をされても、それを良い記憶として受け取ることができません。防衛本能が先に立って、内容を冷静に聞く余裕がないのです。
だからこそ、私はコンサルの中で3分に一度、必ず相手にボールを渡します。「ここまでで気になることはありますか?」「わからない言葉はなかったですか?」と。いきなり治療の話はしません。まず「今日はどんなことが気になっていますか?」と聞いて、患者さんが言葉にしたいことを先に出してもらう。そのうえで、3分ごとにキャッチボールを繰り返す。ただそれだけです。
POINT
3分に一度、相手の立場に立って言葉を選び、反応を受け取り、またボールを返す。一度のやりとりで距離を縮めてくれる方もいれば、10回、20回と重ねて、ようやく心が近づく方もいます。でも、それでいいのです。
よく「それは、あやちゃんだからできるんでしょ」と言われます。でも、決してそんなことはありません。
私の中では、すべては「ルール」に基づいたコミュニケーションです。ルールがあるからこそ、うまくいかない日があっても傷つきすぎることはないし、自分を卑下することもありません。「あの対応は正しかっただろうか」と自分を責めるのではなく、「ルール通りにやった。次もルール通りにやろう」と思える。感情に振り回されずに、一定の質を保ち続けられる。それがルールの力です。
受付にクレームを届かせないのはTCの仕事
歯科医院で患者さんの不安や不満が行き着く先は、多くの場合、受付です。チェアサイドではドクターに遠慮して言えなかったこと、TCとの会話で消化しきれなかったこと。それが会計の場面で「そういえば、あの治療っていくらかかるんですか?」「こんなに回数がかかるって聞いてないんですけど」という形で表に出てきます。
受付スタッフがその矢面に立たされるのは、本当に辛いことです。しかも、受付の方は治療の詳細を把握していないことも多い。答えられないまま謝るしかないという状況は、スタッフの心を消耗させます。
TCの仕事は、治療の説明をすることだけではありません。患者さんの不安が不満に変わる前に、先回りしてフォローを入れること。そして、大切な仲間であるドクターや受付スタッフを、患者さんの「敵」にしないこと。私はこれを、TCの最も重要な役割のひとつだと考えています。
たとえば、根管治療の前には回数がかかることを必ず伝えます。仮の詰めもの(キャビトン)を入れた場合は、欠けやすいことや違和感が出る可能性があることも事前に説明しておく。「聞いてなかった」を生まないことが、すべての起点です。
そして最後に、私はいつもこう伝えます。
「何か気になることがあれば、いつでも私、中村までお電話ください。すぐにお答えできないこともあるかもしれませんが、必ずお返事します。」
この一言を聞いて、実際に電話をかけてくる患者さんは、ほとんどいません。でも、「いつでも聞ける相手がいる」という安心感が、不安をクレームに変えないブレーキになるのです。
まとめ——ホスピタリティは持って生まれたセンスではない
振り返ってみると、私がやってきたことはとてもシンプルです。患者さんの話を聞く。わからないことは正直に「確認してきます」と伝える。嘘をつかない。自分のペースではなく、相手のペースに合わせる。そして何より、患者さん自身が「自分で決めた」と思える場をつくる。
その一つひとつの土台にあるのは、「3分に一度、ボールを渡す」というルールです。難しいことではありません。特別な才能も必要ありません。誰でも今日から実践できる行動の積み重ねです。
今日ここまで読んでくださったあなたも、明日の診療から試せることがきっとあります。3分に一度、患者さんの顔を見て、「ここまでで何か気になることはありますか?」と聞いてみる。それだけで、何かが変わり始めるかもしれません。
FAQ
Q 「3分ルール」は経験が浅いTCでもすぐに実践できますか?
はい。「3分に一度、ここまでで気になることはありますか?と聞く」というシンプルなルールなので、経験年数に関係なく明日の診療から始めることができます。大切なのは完璧に実行することではなく、患者さんにボールを渡す意識を持ち続けることです。
Q クレーム対応ではなく「クレーム予防」がTCの仕事なのですか?
その通りです。クレームが起きてから対処するのではなく、患者さんの不安が不満に変わる前に先回りしてフォローすることがTCの重要な役割です。「聞いてなかった」を生まないことが起点になります。
Q クレームゼロと自費率の向上は両立できますか?
両立は可能です。患者さんが自分で納得して選んだ治療には満足度が高くなります。目の前の一本の契約よりも、患者さん自身が本当に納得しているかどうかを優先することが、長期的な信頼を生み、結果として自費率にもつながっていきます。
Q 「非分離の関係」とは具体的にどういうことですか?
相手と自分を切り離すのではなく、「一緒にいる」状態で関わることです。TCと患者さんが「向かい合い」ではなく、同じ方向を向いて一緒に考える関係。この関係ができていると、トラブルが起きても怒りではなく「相談」が先に来るようになります。
※本記事における実績数値(3万人超の対応、クレーム0件等)は、中村綾本人の講座内での発言に基づくものです。個々の医院の状況により成果は異なります。本記事は特定の治療効果を保証するものではありません。
【編集部注記】この記事は、ホスピタリティTC養成スクール第3期(Day1 中村綾講座、Day3 中村綾講座、特別講座)の講義内容をもとに、中村綾の監修のもと編集部が構成しました。


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